回 |
年 |
開催国,地区 |
主办国家,地区 |
拼音 |
15 | 2011 | カタール | 卡塔尔 | kǎ tǎ ěr |
14 | 2007 | インドネシア,マレーシア,タイ,ベトナム | 印度尼西亚,马来西亚,泰国,越南 | yìn dù ní xī yà,mǎ lái xī yà,tài guó,yuè nán |
13 | 2004 | 中国 | 中国 | zhōng guó |
12 | 2000 | レバノン | 黎巴嫩 | lí bā nèn |
11 | 1996 | UAE | 阿联酋 | ā lián qiú |
10 | 1992 | 日本 | 日本 | rì běn |
9 | 1988 | カタール | 卡塔尔 | kǎ tǎ ěr |
8 | 1984 | シンガポール | 新加坡 | xīn jiā pō |
7 | 1980 | クウェート | 科威特 | kē wēi tè |
6 | 1976 | イラン | 伊朗 | yī lǎng |
5 | 1972 | タイ | 泰国 | tài guó |
4 | 1968 | イラン | 伊朗 | yī lǎng |
3 | 1964 | イスラエル | 以色列 | yǐ sè liè |
2 | 1960 | 韓国 | 韓国 | hán guó |
1 | 1956 | 香港 | 香港 | xiāng gǎng |
我心中暗暗猜想,天堂就是图书馆的模样
2年前、杭州市立図書館は、ホームレスを含む全ての市民に開放しました。当時、ある市民は当図書館の館長に苦情を言いました。
「ホームレスがそばにいるのに耐えられません。」
館長禇树青氏は落ち着いて答えました。
「私にはホームレスの入館を拒む権利はありませんが、あなたはホームレスから離れる権利があります。」
とても温和な言葉ですが、当時、大きな反響を呼ばなかったです。
今、この古いニュースが脚光を浴びています。民主平等の理念がますます浸透してきた今日、公平な生活はますます注目されてきた今日、思いやりの温かさがますますありがたく感じてきました。
杭州市立図書館の温かいサービスに感動する声がある一方、不満の声も上がっています。
「全ての人の無条件入館により、環境の破壊や、本や設備の破損など、起こりかねない。」実は、この図書館の館長によると、本の無くなる比率は0.5%で、先進諸国の平均値より低いそうです。
そして、本を読む前に、手から、腕まできれいに洗うホームレスがよく見れます。却って、平気で本を汚したり、切ったりするのは、綺麗な格好している人が多いらしいです。
とんでもない優越感に満足している人が多いようです。都市の人は田舎の人を見くだし、大都市の人は小さい町の人を見くだし、富んだ人は貧しい人を見くだしたりします。この優越感が無くなってから、初めて円熟な大人と言えるでしょう。
8年前私は日本に来ました。その冬も寒波襲来で、一人ぼっちの私は寒風の中に震えました。心身を暖めてくれたのは学校の図書館でした。
1年前、金融危機の影響で、私は失業になり、寒波襲来時、心身を暖めてくれたのは市立図書館でした。
今年の寒波襲来で、温かい事務所で気持ちよく今の仕事をしています。日曜は、時々全ての人に開放する市立図書館に行きます。
図書館にいると、周りの人の温和な顔を見て、心身を暖めます。”我心中暗暗猜想,天堂就是图书馆的模样”「私の心の中はずっとひそかに考えて、天国は図書館のぐらいであるべきです。」というアルゼンチンの詩人博爾ヘスの言葉に共鳴しています。
杭州市立図書館も日本の図書館も、図書館のあるべき姿だと思います。すべての図書館が、そのようになれば、私たちは生活を過ごしやすくなると思います。
「20、30、40の恋」の感想
今日は「20歳の女性は全てを持っていますが、20歳の男性は何もありません。40才の男性は全てをもっていますが、40歳の女性は何もありません」と言う文言を読んで、思わず笑いました。先日見た映画―――「20、30、40の恋」を思い浮かべました。
それは台湾を背景にした3人の美人物語です。20代の小潔は青春溢れで、30代の想想は哀愁溢れで、40代の莉莉は魅力溢れです。中年危機とよく言われる今日、中年層に希望を与えてきた映画です。
「40歳に近づいてから、我々はようやくリラックスしたり、生活を享受したり、他人のよい点を見つけることができるようになります。」「只有在接近40岁的阶段,我们才开始放松,享受生活和欣赏他人。」
年を取れば、取るほど、つまらなくなる人もいれば、面白くなる人がいます。莉莉は見事に後者になりました。彼女の魅力を自らDVDで観賞して見ませんか?
幸福感≠幸福生活
近年、年ごとに中国でもっとも幸福感の高い都市のtop10を評定するイベントがあります。
当選された都市は栄光を浴びそうですが、普通の市民はどうですか?
もちろん、幸福感は人によって、違います。
飢饉に苦しんでいる人は、ご飯をいっぱい食べられるなら、幸福を感じます。
出稼ぎの農民は、都市に出て、一年間働いて、給料ゼロで、悲鳴を上げました。政府は行政命令を出して、強制実行によって、給料をもらいました。彼は、幸福の有頂天で、涙そうそうで、政府の役人に跪こうとしました。
出稼ぎの農民少女は、都市に出て、湯沸かし器で、シャワーを浴びてから、幸せ限りだと嬉しく言いました。
幸福感の高い都市の普通市民は年に一回の春節帰省時、定価より数倍高いチケットを手に入れたとき、ラッキーだと幸せそうに言いました。
幸福感≠幸福生活、それは誰でもわかることですが、幸福感の高い都市を評定するより、普通の庶民の生活を尊重し、大事し、国民の幸福感のレベルUPに力を入れたほうが、もっと有意義なことではないでしょうか?