「必死剣鳥刺し」に嘆く

藤沢周平氏の大ファンの私は先日映画「必死剣鳥刺し」を拝見した。武士の悲惨の運命に嘆きました。

以下、あらすじを書いているので、まだ見ていない人は注意してください!

愛妻が病死し、子もなく、生きる意欲を失った為、兼見三左エ門は、藩のため、民のため、海坂藩の藩政に良からぬ影響を与える藩主の妾連子を殺した。しかし処分は軽いもので、藩主は暴政を反省したのもですか?違います。連子死後、藩主の暴政は続きました。
事件三年後、その三左エ門が、近習頭取として役職に復帰後、中老・津田の命を受け、藩主のために、別家の帯屋隼人正と戦う覚悟を決めました。万が一、自分が死んだら、彼の身の回りの世話をしていた里尾の将来を心配し、人に頼んで、結婚させようとしました。その時、里尾の彼への恋心を知って、心が揺らぐ。
これから、自分は里尾と一緒に生活をしようという生への希求を持って、帯屋隼人正を殺しました。しかし、自分は藩閥の戦いの駒の役割は終わりました。「三左エ門中が乱心した」と叫んでいる老津田の声を聞いて、謀られたことに気がつきました。
三左エ門の同僚、三左エ門に剣を振りました。三左エ門は必死に取り巻く侍たちを斬りまくりました。朦朧時、「鳥刺し」秘剣を使って、津田を殺しました。
里尾は遠い所で赤ちゃんを抱えて、毎日三左エ門の来るのを待っていました。
国のため、民のため、死ぬのは最高の侍だと言われる剣豪精神を支えてきた三左エ門は、藩主派閥の犠牲品になりました。

青春時代、中華圏の武侠小説の第一人者金庸氏の武侠小説に熱狂した私は、「為国為民、侠之大者」の侠士の品格に驚嘆しました。
今、日本の剣豪小説の達者藤沢周平氏の侍の品格にも魅了しています。中国の侠士と日本の侍は、共通しているところが数多くあります。
藤沢周平氏の作品を読むと、昔自分は金庸氏の武侠小説に熱狂したことを思い出しました。徹夜の読書は楽しくてたまりませんでした。情け深い侍に涙がでました。
と同時に、「人が人を支配して、これに害を及ぼす」という聖書の言葉を思い出しました。

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